和傘・灯りの店 辻倉について

先祖は浅井長政の家来にて織田信長との戦に敗れ、山科に落ちのびて、この地にて安住する。その子孫である甚助は山科より京都に出る。元禄三年、建仁寺あたりに住まいし、山城屋の屋号にて、和傘製造販売を生業とする。その後、明治の初め現在地に移り住む。この地においても和傘製造販売を続ける。第十三代、達夫(茂一)の時代より(明治の後期から大正の初めの頃より)、提灯の製造販売を始める。また、出来上がった和傘を大八車にのせて八瀬大原、西は愛宕山辺りから滋賀県大津の方まで販売した。現在は和傘は販売のみとなる。歴史については、第十三代当主達夫(茂一)の妻さとより伝え聞いている。

辻倉の歴史




大正後期 大傘製造

大正後期 店舗前にて

第十一代当主 芳太郎


万国博覧会に出展の日傘


創業当時の頃から残る顧客台帳

十三代目辻倉茂一と店の従業員

和傘と提灯の製造の様子


昭和初期 山科の干場にて番傘製造



海外のメディアに掲載(1985年 8月25日 NEW YORK TIMES)

京都商工業創業年代番付にて関脇の老舗辻倉


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